2011年3月11日、東日本大震災の発生により私たちは多くのものを失いましたが、そこから多くの教訓を得ました。
それは未来を守る“糧”であり、1人ひとりの生活と行動に結びついてこそ、大きな力となります。
宮城県が発行する広報紙『Baton』には、あの日の経験をくらしの中に落とし込むためのヒントが詰まっています。
machicoでは広報紙の内容を紹介するとともに、machico会員の皆さまのコメントを募集し、machico防災部として誌面づくりに参加しています。
あの日の経験を、みんなの"じぶんごと"にするために。
そして、もし災害が起きたとしても自分の命を守れるようになるために。
宮城から、このバトンを繋いでいきませんか?
vol.9のテーマは「災害と文化の継承」です。
日本は昔から、災害の多い国です。
地震、火山の噴火、水害、台風など、あらゆる自然災害と向き合わざるを得ない環境にあります。
しかし、幾多の困難に見舞われながらも、各地には特色ある文化が受け継がれてきました。
東日本大震災を機に地域の文化を担った若者たちは、その責任感に向き合いながら、自分なりの喜びを見出し未来に価値をつないでいます。
災害の備えとして今注目されている「フェーズフリー」という考え方。それは、「いつも」と「もしも」を区分せず、日常使っているモノを工夫して非常時にも活用する防災対策です。
今回は、vol.7で紙のスプーンや新聞紙スリッパの作り方を教えてくださった「わしん倶楽部」の田中勢子さんに、緊急時における日用品の活用術や、ラク家事食材としても重宝するフェーズフリーな乾物レシピを教わりました。
ツナ缶の水分で戻す、切り干し大根とツナ缶の梅風味あえ
ボトル紅茶なら火も不要。紅茶で戻した油麩スイーツ
今回は、宮城県石巻市の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」、仙台市の「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」「せんだい3.11メモリアル交流館」を紹介。
「みやぎ東日本大震災津波伝承館」では、ボランティア解説員を務めている2人の高校生に話を聞きました。
震災遺構 仙台市立荒浜小学校
せんだい3.11メモリアル交流館
太平洋に面した石巻市雄勝町(おがつちょう)。硯(すずり)の材料となる雄勝石が採れ、室町時代から「雄勝硯」が作られていたとされます。江戸時代には仙台藩主伊達政宗に硯が献上され、明治から昭和時代には全国の硯の90%を生産していました。雄勝町で育ち、小学校の授業で硯職人に話を聞いて以来、工芸品に興味を持つようになった徳水辰博さん。大学卒業後、「雄勝硯を絶やしてはならない」という気持ちから雄勝硯生産販売協同組合に就職。製造担当として働き始めました。
硯を作る技能を自分なりに追求した10年間。その歩みの中で得た気づきや原動力についてお聞きしました。
1600年代に始まったとされる南三陸町の郷土芸能、行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)。その発祥の地・戸倉水戸辺(とぐらみとべ)地区は、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けました。戸倉出身の佐藤裕さんは震災当時、戸倉中学校の2年生。翌日の卒業式の準備中に学校で被災しました。
震災から復活した郷土の誇りを楽しさとともに後世へ伝えようと、故郷を離れた現在も水戸辺鹿子躍を躍り続けています。
地域おこし協力隊として東松島市に移住し、サンドアートを通して交流の輪を広げる砂の彫刻家、保坂俊彦さん。第一回奥松島夏祭りの砂像製作中にお話を伺いました。
広報紙『Baton』は、各地で無料配布されるほか、下記リンクから全文読むことができます。
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「machico防災部」の活動は、せんだいタウン情報machicoが
震災10年目を機にスタートさせた「つながるプロジェクト」の一環です。
いざという時の備えで一番大切にしていることは?
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