2021年03月10日
東日本大震災 つながる出会い
工藤真弓さん×編集長『椿の“いのちを守る避難路”』

東日本大震災の後、復興活動を行う多くの人に出会いました。
起こってしまった災害に、自分はどう向き合い、何ができるのか、戸惑いながらも前を向いて歩き続ける人々の言葉は、復興するまちを支える力強さを感じました。
その取り組みやその後の様子など、10年という年月を経て、今どのようなカタチになっているか、編集長が再び会いに行きました。

 


 

 

南三陸町にお住まいの工藤真弓さん。900年の歴史がある上山八幡宮の禰宜という神職を務められています。
震災時、町内のスーパーでひとり買い物をしている時、地震が発生。大きな揺れの中、息子さんの名前を呼び続けたそうです。
自転車で慌てて帰り、家族の無事を確認すると避難を始めます。近くの避難エリアにも波が来るかもしれないと、さらに高い避難所を目指して走り出します。
そこから長い避難生活が始まり、南三陸町に戻って来られてからは、このまちをもう一度作り直すため、自分達にできるさまざまな活動をされてきました。

 

 編集長  ご無沙汰しておりました。真弓さんの活動を最初に知ったのは2015年でしたが、その時はお会いできず、実際にお会いしたのは2017年の山形防災講演会でしたね。

 真弓さん  そうでしたね。いろいろな繋がりからご縁をいただいて、お会いすることができました。

 編集長  震災当日の様子を紙芝居にされて、その後絵本になりましたが、なぜそのお話しを描こうと思ったのですか?

 

 

 真弓さん  この絵は、避難所で描きました。ボランティアに来てくださった方ががれきの片付けをして帰る、ということの繰り返しで、このまちに残った人が感じていることや経験など話をする機会、聞いてもらえる場面がありませんでした。
私が生き残ってできることは、経験を伝えることじゃないかなと思い、最初は五行歌という自分の呼吸に合わせてつくる詩歌を書いてまわりの人に見せていました。広域避難していた時。加美町の絵本の読み聞かせのボランティアの方に「子どもたちや外国の人には体験を絵にした方が伝わるわよ」と言われて、避難所でもらったA4のスケッチブックに絵を描いてみました。

 編集長  その絵を使ってどんな風に体験を伝えられたのですか?

 真弓さん  2011年12月に九州から来られたボランティアのみなさんにお見せしたのが最初でした。地震が起きてからどのように行動したか、その時どんなことを感じたか、私たちの体験を知って帰ってもらいたいと思いました。
当時4歳だった息子が「壊れたけど、あるよ」と自分の中に故郷のまちがあると言ったことがありました。失うだけではなく、私たちはたくさんのものを得たりいただいたりしているんですよね。そういう想いを伝えてきました。

 編集長  これが最初の活動だったんですね。南三陸町にはいつ帰って来られたんですか?

 真弓さん  震災から5年後です。元あった場所は波をかぶっていたので、ルール上そこにはもう家は立てられず、その一段高いところに家を建てました。
暮らしを支える、ハード面のまちづくりにも関わらせていただきました。志津川地区まちづくり協議会での議論を深めるため、有志での勉強会「かもめの虹色会議」を立ち上げました。町をどう作り直すのかというテーマです。
例えば、地面が削られて磯になっていたところがあったんですが、牡蠣の赤ちゃんがコンクリートの破片にくっついて生息の場になっていたんです。
そこは元々海だったところを埋め立てて町を作ってきた歴史があった場所で、海に戻ったんだから戻ったままでいいじゃないか、という話になり、利点などをまとめて県に提案したんです。それが認められて防潮堤をセットバックして作ることになりました。そこで志津川高校の自然科学部の生徒さんたちが磯観察してくれたんですが、レッドリストに載っているような生き物がたくさんいることがわかったんです。

 編集長  海に返ったことで生き物も守り、学びにもつながっていて素晴らしい取り組みですね。

 真弓さん  町民が思っていることを公式の会議の中でカタチにしていくのが「かもめの虹色会議」なんです。

 編集長  町民ひとりひとりが復興の担い手になっているんですね。以前お聞きした、椿の植樹のこともその一つでは?

 真弓さん  はい。元々自生していた椿があったんですがそれを見て、仮設住宅にいたおばあさんが、
「椿は津波にも耐えて、震災の年にも花を咲かせた。この町にはまた津波がくるからその時は椿で町を守りたい。でもこんなおばばの話は誰も信じないから誰さも言わないでね。」
って話をしてくれました。そう言われたけど、みんなに話をしたくなっちゃって。椿でいろんなことしたら、それぞれに役目ができるなと思いました。
種がこぼれたら子どもたちは種を拾い、仮設住宅にいるおばちゃんたちが育てる、苗になったらみんなが逃げた避難路に植えたい。「復興みなさん会」として、小さくても自分達ができることを少しずつやってみるっていうことが大事だと思うんです。
この取り組みをインターネットの情報を見て知った兵庫県の平岡中学校の先生が、修学旅行でそちらに行くので、椿の苗を植樹させてほしいとご連絡がありました。160人の生徒さんが自分達で苗を準備して36本植樹していただきました。

 

 

 編集長  椿の道をみんなで作ることで、いざという時、迷わずその避難路にたどり着くことができますね。

 真弓さん  “いのちを守る避難路”です。今は2mくらいに成長していますよ。ぜひ見て行ってください。
椿の歴史や塩害に強い植生から生き方を学び、花を鑑賞したり、椿油や椿茶、椿染めなど、椿を真ん中にしたまちづくりをしています。花はてんぷらにして食べると美味しいんですよ。
結局は津波が来たら「逃げる」という選択肢しかないことを確認するためにも、作った避難路を大切に育てています。それを続けていくことで、震災のことを話すきっかけができますしね。防災って平時の活動や気持ちの積み重ねだと思うんです。
 編集長  確かに。防災の日や震災のあった日だけ防災の話をするんじゃなくて、日常的に備えていることが大事ですね。

 

椿の避難路は、上山公園から避難所になっている志津川小学校をつなぐ山道。
もし、この地で地震に遭遇したら、迷わずこの道を駆け上がるだろう

 

 編集長  あちらに飾ってある“キリコ”のモニュメントをまちなかで見かけたことがあるのですが、真弓さんも一緒に活動されていたのですか?

 

 

 真弓さん  震災の一年前、まちづくり事業の町の文化を楽しむプロジェクトで、それに“キリコ”を使えないかという打診があったんです。キリコは神棚に飾る伝統的な切り紙細工で神様に捧げるものだし、違う目的で使うのは、だめじゃないかって思っていました。でも、宮司の父はそれに賛同して取り組みを始めたんです。

 編集長  思いもしなかった展開でしたね。

 真弓さん  出来上がったキリコがお店の前に貼ってあるのを見たら、想像以上によくて、神社のキリコじゃないのに、なんでこんなに伝わるものがあるんだろうって感動したんです。風に揺れる様が息づく文化として新しく生まれたと感じたんです。
津波でキリコは全部流されて、でも一緒にプロジェクトを行っていた仙台の方のデータが残っていて、震災後、言葉を添えてお店のあったところにオブジェとして海に向かって立てていたんです。

 編集長  その時の様子も見ていました。

 真弓さん  南三陸町に訪れてオブジェを見た人が、キリコの存在を知って神社に来られるようになりました。その方たちに津波の歴史をお話しして、まちに残った文化としてのキリコを、祈りを込めながら切る体験をしてもらいました。

 編集長  神聖なものとしてのキリコが、まちづくりや人の心に寄り添うものとしてまた新たな役割となって神社に戻ってくるってすごいですね。新しい価値が生まれましたね。

 

 

 真弓さん  そして一番最近の活動は、6ヘクタールの大きな「南三陸町震災復興祈念公園」の育て方・見守りの体制づくりのプロジェクトです。
公園が慰霊の場としての目的だけだと行きにくいけど、子どもたちは鬼ごっこしたりスポーツしたり、町民が自分達で活用することを考えて、使ったら綺麗にして帰ろう、それが管理・維持につながっていく。楽しんだり、心地よい場をみんなで育てていこうとしています。

 

震災から20年後、2031年までは宮城県が所有して保存することが決まった南三陸町防災対策庁舎

 

 編集長  津波の被害にあった建物、防災対策庁舎がある場所は、憩いの場として生まれ変わり、元気な声が聞こえる公園になったんですね。
防災も誰かが仕組みとして作ってくれることではなくて、日頃から自分はどう行動すべきか、自分事になればいいですよね。

 真弓さん  小さいことしかできないっていう人がいるけど、小さいことが大事。小さい椿の種が、人の命を守ることにもつながっていくんです。

 編集長  真弓さんが今、一番大事にしていることはありますか?

 真弓さん  “信じる”ことかな。大変な経験をした分、気付きから得るものもたくさんあって。小さなことでは揺らがなくなり、ちゃんと生きてる、生き抜くって思えるのかもしれないです。

 編集長  これまでのお話しを聞いていると、神職のお仕事とまちづくり、通ずるものがあると感じます。

 真弓さん  “祈りの力”があることで、きっと想いは届くと信じています。

 編集長  本当にそうですね。私も信じることの大切さがわかったような気がします。ありがとうございました。

 

上山八幡宮 禰宜 工藤真弓さん
宮司のご主人と

 

ー取材を終えてー

「津波は海が悪いんじゃないの。川にいたナマズが海の中にきて鼻がむずむずして、はくしょんしたから波が揺れちゃったの。」
当時4歳だった息子さんが津波をこう表現したそうです。
津波を伝承する紙芝居は、保育園に通う子どもたちにも、その体験を初めて聞く大人たちにも、何が大事なのかを優しく教えてくれているような気がしました。
この取材の次の日、東北では大きな地震がありました。もし、その時、私が南三陸町にいたら、迷わずあの“椿の避難路”へ向かったことでしょう。
防災と減災は、それぞれが認識し、自分事として向き合っていくことから始まります。いろいろな体験に耳を傾けること、それが誰にでもできる備えの一歩ですね。

 

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