2018年07月06日
TALK Vol.9 荒浜出身ミュージシャン 佐藤那美さん
-各界で活躍されている方にインタビュー。すてきに生きるヒミツを探ります。
Vol.9 荒浜出身ミュージシャン 佐藤那美さん

 仙台市若林区荒浜地区で育ち、市内を中心に活動するミュージシャン・佐藤那美さん。母親の影響で幼少期から続けているピアノをはじめ、シンセサイザーやギターなどいくつもの楽器を1人で使いこなし楽曲を制作しています。佐藤さんは今年、世界中のアーティストの中から約60名だけが参加できる「レッドブル・ミュージック・アカデミー(以下、RBMA)」に日本からただ1人選出されました。9月からドイツ・ベルリンで始まるRBMAへの意気込みや、自身と音楽活動の原点でもある故郷・荒浜への想いに迫ります。

 

言葉にしたものだけが全てになってしまうから、
歌詞のない音楽で伝えることを選んだ。

 東北芸術工科大学映像学科を卒業している佐藤さん。在学中に曲作りを始めるようになったそうですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

「写真を勉強したくて大学に入学したんですが、ちょうどその時に学科編成が変わって、映像制作に関する教育にすごく力が入っていた年でした。周りも映画制作に興味がある人が多くて、私はそういう環境の中で写真を撮っていました。
 そのような感じで大学生活を過ごしていましたが、映画をつくるためには音楽が必要になるじゃないですか。だから私の周りの映像専攻の人たちは自分で音楽を作ったりネット上のフリー音源を使用したりしていたのですが、本格的な長編映画を撮ろうと立ち上がった同期のひとりが、曲を作れる人を探していました。その中で、“あいつはピアノを弾けるらしい”という話をどこで聞いたのか、周りから声をかけられるようになり、映画音楽のようなものを作り始めました。それが楽曲制作を始めた最初のきっかけですね。自分から能動的に曲を作り始めたわけではありませんでした。」

佐藤那美さん

 

 こうして始まった音楽活動。いくつもの楽器を1人で演奏して録音し、その音をパソコンで編集して作り上げる佐藤さんの楽曲は、ほとんどが歌詞のないメロディーだけのインスト音楽です。このスタイルは、どのようにして確立されていったのでしょうか。

「ピアノは5、6歳の頃から続けていましたが、それ以外の楽器は全くの未経験でした。シンセサイザーやパソコンでの打ち込み音楽を始めたのは、映画音楽の依頼が来るようになってからです。YouTubeを見て勉強しましたよ(笑)。今はパソコンを使って音の美容整形みたいなことができるので、自分で演奏した音に微調整をかけながら曲を作っています。
 歌詞をつけないのは、単純に恥ずかしかったから(笑)。自分の声が嫌いだったし、言葉で何か表現することに慣れていませんでした。それに、言葉にすると言葉にしなかったものが逃げていくじゃないですか。言葉にしたものだけが全てになってしまうというか。そういう意味では、言葉の性質って音楽との相性があまり良くないと思っているんです。歌詞がない曲の方が、聴いている人は自由に想いを投影できると思います。でももちろん、必要に応じて歌詞をつけることもありますよ。」

 

流されるままに始めた音楽活動。
3.11をきっかけに、大きな変化が。

 佐藤さんが東日本大震災を経験したのは、大学3年に進級する直前の春休み。当時、大学がある山形県内で1人暮らしをしていました。荒浜の実家に住んでいた父親とは数回電話がつながったものの、山形から帰省できたのは震災から10日後のことだったそうです。

「震災直後は、私と同じように帰省できなくなった友達5~6人と1つの部屋に集まって一緒に過ごしていました。山形でも電気や水道は止まっていましたが、ガラケーのワンセグ(テレビ)放送が使えたのでみんなで被害の様子を見ていた時、偶然、荒浜の映像が流れたんです。津波が陸に押し寄せて、全部流されていく映像でした。
 荒浜に帰ってからは、目の前にある状況を受け止めるしかありませんでした。実家の近所に住んでいた祖父は、津波に巻き込まれて亡くなりました。祖父の佐藤菊雄は生前、荒浜農産という地元の農業組合を設立した1人でした。震災当日も、一度は荒浜小学校の屋上に避難したんですが、みんなが食べ物に困らないようにと、荒浜農産の倉庫に食糧を取りに戻ったそうです。震災後もいろんな人から祖父の話を聞くことが多くて、たくさんの人に慕われていたんだなと尊敬しています。

荒浜の思い出写真1
今はなくなってしまった荒浜の祖父の家

 当時実家で飼っていたワンちゃん(ダックスフント)は今でも見つかっていません。私にとっては家族同然だったので、震災でなくなったものの中でも大きな存在でした。」

荒浜の思い出写真2
自宅の庭にあったベンチは佐藤さんとワンちゃんのお気に入りスポット

 辛い経験を強いられた佐藤さんですが、この東日本大震災が、佐藤さんの気持ちと音楽活動に変化を与えました。

「私に今できることは音楽しかないと思い、曲を作っていつかそれがお金に換わって、震災で困っている人や地元に何か還元できたらと考えて自分から制作を始めました。そしたら震災直後から頻繁に東北に足を運んでいたミュージシャンの七尾旅人さんにお会いする機会があり、音源を手渡したらとても気に入ってくれて。結果、旅人さんの立ち上げたレーベルから2011年の秋に4曲入りのミニアルバムを配信で出すことになりました。そのレーベルは売上金が全て震災孤児の支援に回るシステムになっているので、“アクションを起こせば叶うことがある”と実感できた経験でもありましたね。」

 

故郷・荒浜への想いを胸に、
世界的ミュージシャンへの第一歩を踏み出す。

 震災から約2年後、佐藤さんは大学の卒業制作として配信アルバム「ARAHAMA CALLINGS」をリリースしました。震災でなくなってしまったものや町、人を音楽の中で再構築しようと試みた集大成の作品です。

ARAHAMA CALLINGS

 このアルバムを聴きながら目をつぶると確かに、震災が起きる前の自然豊かで平凡な町の景色が頭の中に浮かんできます。震災前、佐藤さんが一番好きだった荒浜の場所をうかがってみました。

「田んぼや海は今も変わらず大好きですが、震災前の荒浜には松林に囲まれた不思議な野球場がありました。高校生の頃はよくそこに文庫本を持って行って、1人で本を読むのが好きでした。すごく気持ちよかったのを覚えています。小さい頃から友達と遊ぶことより読書や音楽を聴くことの方が好きでしたね。音楽を好きになったのは、私にピアノを勧めてくれた母の影響です。私が実家で使っていたピアノは津波で流されてしまいましたが、母自身も小さい頃から使っていたピアノなので、瓦礫の中から拾うことができた鍵盤の一部は今でも大切に保管しています。」

荒浜の思い出写真3
ピアノの前でポーズをとる佐藤さん

 2015年に仙台市で開かれた国連防災会議のCMソング制作をはじめ、企業への楽曲提供やイベント出演、ライブ活動など幅広い活躍をみせる佐藤さん。現在は、今年8月配信予定の新しいアルバムを制作中で、同月19日には荒浜にあるスケートパークCDPの夏祭りで単独ライブを予定しています。その後9月からは、佐藤さんが日本代表として参加することになったRBMAが始まります。
 RBMAは、レッドブルが主催する、若く才能溢れるアーティストを支援する世界的な音楽学校のこと。1998年以降、ベルリンを出発点としてケープタウン、サンパウロ、バルセロナ、ロンドン、トロント、ニューヨーク、東京など、世界各地で開催され、今回で記念すべき20回目を迎えます。世界中から選ばれたヴォーカリスト、プロデューサー、楽器の演奏家など約60名が、レコーディングやセッション、著名な音楽関係者によるレクチャー、ライブパフォーマンスなどに参加し、互いに刺激し合いながら音楽の在り方を変えていく場になっています。

RED BULL MUSIC ACADEMY BERLIN 2018

「2016年に仙台のクラブで開かれたRBMAのプレイベントがきっかけで、アカデミーの存在を知りました。その後2017年の夏に東京で開催されたワークショップにも参加してチャレンジしてみようと決めたんです。応募する時は、30ページくらいあるアプリケーションシートを1ヵ月かけて英語で書いて提出しました(笑)。
 今年選ばれたメンバーの中には、ワールドツアーを回っているプロの歌手がいたり、その一方でサウンドクラウド(音楽共有サービス)のフォロワーが数人しかいないけれどすごくかっこいい音をつくるアイルランドの男の子がいたりして、そんな人たちと会えることだけでもすごく楽しみです。アカデミーの内容は全て英語で行われるのでもちろん不安も大きいですが、両親もすごく喜んでくれているので頑張りたいと思います。」

 今まさに世界の舞台へ羽ばたこうとしている佐藤さんは今後、荒浜出身のミュージシャンとしてどのような未来を描いているのでしょうか。

佐藤那美さん

「去年、深沼海岸で開催された『あらはまワイワイキャンパス』というイベントで録音した音を使った曲があるんですが、それを今年の3月11日に荒浜小学校で行われたイベント『HOPE FOR project』で演奏しました。その時、地元の方が“震災前の深沼海岸の景色を思い出した”と言ってくださり、とてもうれしく感じました。でも今後は、地元の方だけじゃなく遠い国の人にも興味を持ってもらうことが大切だと思っています。そのためにも私自身が世界的なミュージシャンになって、荒浜やその他の被災地で頑張っている方々の力になれたらと思います。私が良い音楽を作り続けていれば、その曲を聴いた誰かが“荒浜に行ってみよう”と思ってくれるかもしれないので。地域の未来のために頑張っている方たちの活動にはいつもすごく励まされています。私も頑張っていきたいです。」
 

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 悲しい出来事に直面しながらも、自分の力で自分の道を切り開く彼女の音楽はとても美しく、聴く人の心を芯から支える力強さがあります。東日本大震災で失われたものはあまりにも多すぎますが、あの出来事があったからこそ新しく生まれたものもあると感じることができたインタビューでした。マチコでは今後も、佐藤さんの活動を追いかけていきたいと思います!

 

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お話の中にも登場したイベント「あらはまワイワイキャンパス」は、今年も開催予定!
深沼海水浴場でライフセービングやビーチバレーの体験、スイカ割など楽しいイベントに参加して、荒浜地域の夏を感じてください。

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