せんだいタウン情報 マチコ

2017年03月22日
TALK Vol.5 謝罪マスター 竹中功さん
-各界で活躍されている方にインタビュー。すてきに生きるヒミツを探ります。
 
 大学卒業後、新卒で吉本興業に入社し、それまでなかった宣伝広報室を設立。その後月刊誌『マンスリーよしもと』の初代編集長を務め、お笑い芸人の養成学校、吉本総合芸能学院(よしもとNSC)の開校や劇場の開場、映画製作など、広報マンという肩書を越えて、多種多様な仕事をこなしてきた竹中功さん。「東北住みます専務」として、仙台に住んでいたこともあるそうです。独自の視点とエネルギーで新しい仕事を開拓していく中、“謝罪”もまた、35年間竹中さんの手腕を要する重要な仕事でした。
 吉本時代のこと、吉本を退社され、コンテンツデザインや執筆など、精力的に活動されている現在についてなど、たっぷりお話聞かせていただきました。エネルギッシュで魅力的に生きるために必要なことはなにか、竹中さんのお話の中にたくさんのヒントがありました。

 

 

お互いに気を使わないで、もっとやりとりせいって伝えたい。

 まず気になるのが“謝罪マスター”という肩書。これは、竹中さんが吉本興業に勤めていた35年間、会社の謝罪会見を取り仕切ってきたことに由来します。有名人をたくさん抱える大企業ともなれば、事件が起こると世間から一斉に注目が集まります。年に1回は大型の会見を行っていたという竹中さん。その腕を見込んで日経BPの編集者の方が「謝り方の本を書きませんか?」と持ちかけたことがきっかけで、『よい謝罪 仕事の危機を乗り切るための謝る技術』という著書が生まれました。タイトルは『よい謝罪』ですが、本の中には謝罪の段階に至らないためのリスクマネジメントや、そのもっと前の段階で重要な日頃のグッドコミュニケーションについて書かれた章もあり、日常的に使える知識もつまっています。

「日経BPの方が謝り方の本を書こうって企画書持ってきてくれて、まず全体の項目を書きだして章立てしている時に気づいたんですよ。僕はよい謝罪の仕方(印象のいい立ち居振る舞いなど)はたしかに知っている、でもよう考えたら謝らんでええ方法知ってるわって。それはつまり事件をおこさないようにすること。コンプライアンス、リスクマネジメントですよね。ここに実は鍵があったんです。だから当たり前のことでも、ちゃんと社員みんなと意識を共有しておくのが大切。一心同体、共同体じゃないですか会社って。だから悪いことするやつが一人出ても、会社全体が傷つくんですよ。傷つくときもいっしょ、もうかるときもいっしょなんです。最近コンプライアンス違反で年間多くの会社つぶれている。この本を読んだ方で、「俺の会社でそんな大きな謝罪をすることない」って人が多かったんです。でも僕が書いたのは、謝罪のノウハウだけでなく時代を乗り切るためのリスクマネジメントのこと。そのためにそんお手前にある、コミュニケーションの重要性というテーマに最終章では戻っていったんです。
 吉本は社員が1000人ほどおってタレントも5000人ほどおるわけです。これがひとつの生命体なんですよ。でも100年続いているってすごいことじゃないですか。100年間社長が替わりながらも。その歴史の重みを感じたらみんな責任も感じるでしょ」

 

 

 『よい謝罪』の本には、最後の章に日ごろのグッドコミュニケーションの取り方などについての記述がありました。編集部の私にとっても実践していきたい内容だったのですが、今後の執筆活動も、そちらのニーズが高まっているようで

「『よい謝罪』の最後の章、リスクマネジメントやグッドコミュニケーションについてのところが勉強になったよかったよって言う人は、わりといてはるんです。実はその知識が必要な人にはこれですよ!ってコミュニケーション術の本と、もう1冊はゆとり世代に対しての処世術をまとめる予定です。
 僕の印象としては、ゆとり世代はちゃんとやってほしいことを言うたらやってくれる。だから、ちゃんと言うてあげなきゃいけないんですよ。言わないでも気をきかせてやってくれって思っている大人が古いんです。たとえば量が膨大で今日中におわらなそうな仕事を頼むときは「今日せんでええ」っていうのも含めて言うてあげたらええ。聞く方も「きょうやる必要があったら言うてくださいよ。でも今日中はちょっと無理やから来週でええですか?」とか「今日2時間残るから残業代くださいよ」というのも含めて、お互いに気を使わないでもっとやりとりせいって伝えたいですね」

 

 

 大切なのは会話の“やりとり”をすること。たしかに、日ごろ、まあいいかと飲みこんでしまう思いがいろいろあるなと背筋を正された思いです。
 その他にも長年広報マンだったスキルを活かして、東京でベンチャー企業を立ち上げた女性たちに、広報の重要性や広告の意味などをレクチャーしているという竹中さん。わかりやすい広報の本も画策しているのだとか。
 ちなみに『よい謝罪』は新幹線や飛行機での移動中にiPhoneで書いたとのこと。ネットがつながっているパソコンだといろいろ調べてしまって資料に溺れるので、まずは一回自分の頭の中にあるものを全部書こうと思い、ネットがつながらない環境でiPhoneを活用したのだそう。執筆に集中するためだけに、日帰りでバンコクに3回ほど行ったのだとか!本では冷静でロジカルに、よい謝罪方法やそのプロセスを説明されている一方、お話を聞かせていただくと、そのトーク力に圧倒!しかしいつの間にか会話の流れにのって、だんだんゆかいな気もちになっていきました。これも竹中流グッドコミュニケーションのなせる技、なのでしょうか。

 

 

 

「やっとけ」って言われたら、「やったりますわ」って言わなしゃあない。

 “謝罪”と並行して、吉本では誰もやったことのなかった仕事に次々と関わり、新しい業務を開拓し続けた竹中さん。そもそもどうして吉本に入ろうと思ったのでしょうか?印象的だった仕事についてもおうかがいしました。

「吉本に入ったのは1981年。その頃は吉本興業のイメージが悪くて、大阪では泣く子がおったら「吉本いれるぞ!」って言うと泣き止むような時代だったんです。
 僕は落語研究会とか入ったことがなかったから、お笑いをやったことは一回もないんですけど、お笑いをつくる側にはまわれるような気がしたんですわ。当時はマネージャーがその役割だったんですよね。新しい番組を持って来たり、企画を立てていっしょにイベントをやったり、それを裏方としてやっていく仕事を、吉本だったらできるやろと思って。
 同期が5人いたんですけど、僕だけマネージャーではなく広報に配属されて、なんで僕だけと思いましたもん。そこからそれまでは存在しなかった宣伝広報室っていうのを設立したんです。マネージャーをやらしてくださいという風にはならなかったですね。ないものをつくれって言われて、前例がないから何かやったらおもしろいと思ったんです。それが広報だったし、月刊誌『マンスリーよしもと』の編集長も、「だれもやったことがないからおまえやっとけ」って言われてやることになったんですよ。「竹中ならできると思うからやっとけ」じゃなくてね。
 それでその半年後に、よしもとNSCというお笑い養成学校を立ち上げるときも、「吉本のなかで芸人つくった奴なんか1人もおらんからだれがやってもいっしょ、だれがやってもええねん」て、竹中やっとけって。同じような無茶ブリ3か月前にも聞いたなぁって思いながら。でも「やっとけ」って言われたら、「やったりますわ」って言わなしゃあないじゃないですか。その流れで編集長やって、学校をつくった。大学卒業して半年で学校つくったんですよ。それで入社1年もたってないのにNSCの面接官をやっているわけですよ。「松本くん浜田くん、君たちは友だちか?」「はい!」「いっしょに受けに来たんか?」「はい!」「月謝払えるか?」「はい」「合格!」みたいなそんなですよ。それがダウンタウンですよ。ダウンタウンはNSCの1期生なので。今考えたらNSCをつくったときに、ダウンタウンがちょうど高校卒業をして受けに来たんですけれども、この学校が1年早くできても1年遅くても彼らは吉本いないと思うんですよ。たとえば1年遅かったら就職していたし、1年早く学校ができていたらきっと先に売れている芸人もおるやろし、そんなとこに絶対2番手ではいるのは彼らは嫌でしょうしね。先輩後輩の関係が厳しいと知ってるから。だからいちばん最初ってところでフィットしたんですね。僕はそのタイミングは神の奇跡やと思うんですよ。僕はそんときに吉本2年目やから、ダウンタウンにとっては僕がひとつ上の兄さんになるわけですよ。「俺にいさんや先輩やぞお前」っていえるんですよ(笑)」

 

 

 入社2年目までのお話だけでこれだけ盛りだくさん!て信じられますか?情熱と柔軟性と、やはり天性の才能を感じずにはいられませんが。そんな仕事の仕方にも慣れてきた竹中さんは、その勢いで吉本の中の宣伝・広報の仕事のあり方も変えて行きます。

「いろんな仕事にもそのうち慣れて来たので、誰もやったことないことを俺が先にやろうっていろんなことやり始めました。
 今の社長ともいろいろ一緒に仕事をしましたね。それまで吉本では、イベントや興行が決まってから、ポスター作っといてねって最後に仕事が回ってくるのが宣伝部だったんです。
 でも僕は広報をやっていたので、プロモーションも得意やから、イベントや興行を決める会議から僕は入っていったんです。それで、「その日は日が悪いから変えたらどうですか?」とか「こんな中身の方が人入りまっせー」とか、「その芸人はいま中学生に人気やから中学生料金つくったらどうですかー」とか、そんなとこにも口出ししたんですね。そのうち新しい視点で意見を言ってくれるから、竹中みたいな制作部員以外のメンバーを会議に入れた方がええでみたいなことがまかり通りだしたんです。僕は広報マンだからプロデューサーと違うニーズを知っていたりするんですね。なにが正しいかわからへん。でも視点が違うやつがおるってことが大事なんです。それで今の社長は僕を重宝してくれたんですよ。
 それまでの宣伝課はただ印刷と宣伝をするところやったのが、宣伝広報室に変わったとたんに、番組やイベントのつくりはじめの時点の会議から参加する役割になっていった。いっしょに作り出す役割になっていったんです」

 

 

きっかけは阪神・淡路大震災。ビルプロデュースの際、
コミュニティFMをつくることしか考えられなかった。

 企画会議などでも発揮された、竹中さんならではの視点から生まれるいろいろなアイデアやアドバイスは、その情報収集力に裏打ちされているところが大きいようです。宣伝広報室で働き始めた時に自主的にはじめたのが、新聞の切り抜きスクラップ。インターネットのない時代、今よりも情報を集めることは気が遠くなるくらい大変だったと思います。それでも竹中さんは何かを読んだり誰かの話を聞いたりするのが好きだったそうで、情報アンテナの感度もあわさって、独自の竹中データベースが出来上がっていったのでしょう。その後インターネットが現れたときは、革命や!と思ったのだとか(特にハイパーリンクに感動したそう)。
 通信が発展し情報社会へと進化していく中で、竹中さんが注目したのがコミュニティラジオでした。ラジオの大切さを実感したのは、阪神・淡路大震災。当時の経験をきっかけに、竹中さんはコミュニティラジオ局の立ち上げにも関わっていきます。

「阪神・淡路大震災の時は、電話線も電気も切れていたから、みんな状況を知りたくて、つぶれている車に潜り込んでラジオを聞いていたんですよ。それで、僕大阪でコミュニティFM(YES-fm)をつくったんですよ。災害時に全国ネットのラジオでは、どこの小学校でお風呂に入れますよとか、どこで炊き出しがあってカレー食べられるよって伝えないですよね。でもかけがえのない情報。だから広域のFMとコミュニティFMは共存せなあかんのですよ。大は小はかねないですよ。
 そもそもラジオ局をつくったのは、吉本で大阪府立の資料館や本屋さんが入った新しいビルをつくることになったときに、その準備委員長やらしてもらったことがきっかけです。どんなコンセプトのビルつくったらいいのかというところからやらしてもらったので、僕がほしいもん全部いれたろと思って。当時めずらしかった朝4時までやっているレコード屋さんツタヤレコードと、1~3階は僕待望のジュンク堂書店。上にワッハ上方(上方演芸資料館)が入って、あとはもうFMをつくることしか考えられなかったんです。そのラジオ局では売れる前のキングコングとかチュートリアルが帯番組をやっていた。若手芸人のトレーニングの場、そういう機能もあったんですよ。ラジオをつくったのは1996年、37歳くらいの時でしたね」

 

 

 なんと仙台のコミュニティFM「ラジオ3」立ち上げの前には、コミュニティラジオについてのレクチャーをしに仙台にきたこともあるのだとか。
 本当に幅広い仕事をこなしてきた竹中さんですが、中でも一番楽しかったのは映画製作だそうです。衣装、音楽、セリフ、役者、監督、照明、全部がまとまってひとつの映画になる。エディトリアルの集大成。『ナビィの恋』や『無問題』などを手掛けていた頃がなつかしいそう。というか、そんな作品づくりにも携わっていたとは。
 その手腕羨ましい限りですが、ご本人は自分のことを「単なるサラリーマン」とおっしゃっておりました。

 

 

人間関係をつくるのは、キャッチボールやと思っています。

 そんな竹中さん、定年を少し前に、自分の好きなことをやってみようと思い立って吉本興業を辞めたのが、勤続35年、よしもとアドミニストレーションの代表取締役をされていた時。
 その後有給も活用して3ヶ月間アメリカNYのハーレムで暮らしていました。悠々自適な休息期間を経て、現在は一人娘が代表取締役を務める会社のCOOとして、さまざまなコンテンツデザインやコミュニケーション関係の仕事をされています。
 吉本時代から、前例のない仕事に携わり開拓してきた能力を生かして、現在は具体的にどんなお仕事をされているのでしょうか?

「ひとつは、東北のとある刑務所の満期釈放者の社会復帰プログラムで先生をやっています。4コマやっているうち2コマはコミュニケーションの授業。ひとつは自分史を書こうという授業です。自分が10歳の時にどんな大人になろうと思っていたのかを、インタビュアーになって10歳の自分に聞きにいってくださいっていうことをやっています。思い出すんじゃなく。それを授業時間に書かせて、見に行って、やりとりしてなおしてもらう。その次はもういっぺんインタビュアーとして、自分が死ぬ日に会いに行って、誰に何を伝えたいかを聞いて来なさいと。最後は今いちばんしたいことを書いてもらう。どこに行って何がしたいか。どのお題も全部具体的に書かなあかんわけです。
 例えばお兄さんのこと書くのでも何歳年上かで状況が変わってくるし、サッカーの本場と書いてもそれがどこの国だと思っているかでその人のこだわりが見えてくる。生徒が書いたものを見て会話をして、より具体的に聞き出していくのが僕の役割。そうやっていっぱい書き溜めていったら1冊の本、自分史になるんです。
 その授業をしていても思いますが、コミュニケーションはキャッチボールですね。楽しく接したら相手も楽しくなってくれる。言葉をちゃんとキャッチボールしているうちに、心のキャッチボールがうまくいって、もっといろいろなことを話してくれるようになる。人間関係をつくるのは、キャッチボールやと思っています。話すのが苦手なら、メールでも4コママンガでも、自分の得意な方法でキャッチボールすればいいんです」

 

 

 相手とちゃんと会話する、やりとりする。話し方はちゃっちゃとした早口なのに、心に向き合うスピードは、相手にあわせてゆっくり一歩ずつ、一言ずつ。コミュニケーションに労力を惜しまない。それが竹中流のコミュニケーションメソッドなのではないでしょうか。なんだか極意を見つけられた気がしました。
 そんな竹中さん、吉本で培ってきたコンテンツを生み出す力を買われ、医療や介護にロボットを導入するロボット病棟のプロジェクトにも関わっているのだとか。笑いを生み出してきた広報マンの視点から、医療の現場にどんなアイデアがもたらされるのか、期待が高まりますね。

 

 

わざわざ来た時に感じる仙台ローカルの良さをもっと知りたい。

 さて、「東北住みます専務」として、2013年くらいからしばらくの間仙台に住んでいたこともある竹中さん。壱弐参(いろは)横丁が大好きで、住んでいた当時ははじからお店に入っていったのだとか。大阪生まれ大阪弁全開の竹中さんに、仙台の印象をうかがってみました。

「仙台はコンパクト東京という感じがします。きれいでベンリやしスマートな印象なんですけど、個性というか、仙台ならではのローカリズムがもっとあってもええなって気がします。わざわざ来た時に感じる仙台ローカルの良さをもっと知りたいですね。This is REAL SENDAI!みたいなのが、ほんまはもっとあるんじゃないですか?
 仙台の好きな場所は、いろは横町と文化横丁です。それと三越の屋上のビアガーデン。あとは『プレイバック』ですね。国分町にある歌謡曲だけをかけているバーなんですが。新しいお店はどんどん開拓したいと思っています。でもドアを開けてなんか違うな?って思ったら、「あれ山本君きてません?あれー?ちょっとまた調べてきますわ!」ガシャーって逃げよって考えながら。で『プレイバック』は当りだった。僕音楽が好きやから、そこでお友だちいっぱいできたんですよ。仙台には単身赴任の人がいっぱいいるんですよね。毎晩ひまやからここに来てますみたいな人が集まってくるから、なんとなく気安くしゃべれる。楽しいですよ。ぜひとも行ってみてください」

 

 

 その後も吉本新喜劇から生まれたギャグで小学校のいじめが減った話や、お笑い養成学校NSCに入ってくる人種が、どこにも所属できないドロップアウトした荒くれ者たちから、いじめられっこ・ひきこもりなどお笑いに救われた人や高学歴な人間へとシフトしてきている現状など、興味深いお話を次から次へとうかがうことができました。
 なごりをおしみながら、最後に読者のみなさんにメッセージを、とお願いすると。

「明るく生きろ、ですね。詳しくいうと、悪口は一切やめなさい。役に立つ愚痴ならいいですよ。でも明日の役に立つ悪口はあまりないじゃないですか。悪口とか後ろ向きな話は、役に立つなら言ってください。それ以外は言わないと決めてね」

 

 

 短い時間ながら、次から次へと、それこそハイパーリンクのように、おもしろいキーワードをみつけてそちらへ話題を移し、どんどんどんどん話が広がっていく。そのエネルギー、本当におみそれしました。インタビュー項目から話がどんどん脱線していっても、実は無駄なコミュニケーションなどひとつもないのかもしれない、と竹中さんのインタビュー後、しばらくして気づくことができました。お話させていただいた当日は、立て板に水のトークに実は少し圧倒されていたのですが、日をおくごとにじわじわと、そのトークの裏に体現されていたやさしさや哲学が、編集部の私にも浸透してきたように思います。その余韻も含めて、竹中流コミュニケーション術なのかも。次の本がでることも楽しみです。

 竹中功さん、おもしろい時間をありがとうございました!

 

 

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