2020年08月01日
歴史ドキュメンタリー『大八伝 〜天童を救った男〜 』若い世代に伝えたい、将棋の駒と吉田大八
大八伝

将棋の駒で有名な山形県天童市。現在、藤井聡太棋聖の歴代連勝記録が話題になっている将棋界。そんな人気を博している将棋ですが、その背景にある数奇な歴史ストーリーをご存知の方は少ないのではないでしょうか。

吉田大八(1832~1868年)。 財政難の天童藩を救いながらも、37歳という若さで切腹により自害しなければいけなかった一人の藩士がいました。 令和の時代の今、彼の貢献が山形県天童市の地元の有志により歴史ドキュメンタリー短編映画として伝えられることとなりました。7月18日に開催された完成試写会の様子とともにご紹介します。

 

 

吉田大八守隆(よしだだいはち もりたか)1832~1868年

1832年(天保3年)、江戸天童藩邸に生まれる。大八は15歳で父の後を継ぎ、天童藩の要職を経て1867年(慶応3年)中老に昇格する。

要職を歴任する中で、江戸では、安積良斎(あさかごんさい)等に学び藩校の改革を図り、天童では、藩の財政難対策に取り組んだ。当時、天童藩の財政は困難を極め、下級の藩士ほど生活は苦しく、貧窮にあえいでいた。大八はその救済策の一つとして、藩士が将棋駒を制作することを取り入れた。武士が手内職を営むことについては反対もあったが、「将棋は兵法戦術に通じ、武士の面目を傷つけるものではない」とし、将棋駒作りを広く推奨した。天童が将棋駒の産地になった由来といわれている。

1868年(慶応4年)2月、戊辰戦争において、天童藩主織田信学(のぶみち)は奥羽鎮撫使先導の大役を命ぜられ、中老吉田大八は先導名代となる。官軍であった天童藩は、庄内藩と攻防の末焼き討ちに遭い、鎮撫軍は苦戦。その後、奥羽名藩で結成された奥羽列藩同盟から、大八の身柄引き渡しを要求され、大八は米沢藩に自ら捕らえられる。
6月18日、天童小路の観月庵で切腹して果てる。享年37歳。天童佛向寺に葬られる。(公式パンフレットより)


昔のまま大切に残されている大八の血のついた妙法寺観月庵の天井


命日には、毎年地元の人々が集まり供養されています。

 

多くの天童市民・企業、団体がスポンサーとなり完成。天童にゆかりのあるキャストが登場します。

大八伝
2020年7月18日、イオンシネマ天童で催された完成試写会の様子

主演:ミッチーチェンさん(写真左から2人目)
天童市出身のタレント。吉田大八が亡くなった妙法寺観月庵の近所で生まれており、今回の依頼は二つ返事で受けたそう。このプロジェクトを機に、また新たな天童市の魅力を伝えていきたいと話します。

ナレーション:古池常泰さん(写真左)
「人としての出世より、人と産業。つまり将棋駒の生産を天童に残すのだ」と周囲に語った吉田大八の強い気持ちと功績を改めて実感したとのこと。

監督・撮影・編集:佐藤広一さん(写真右から2人目)
天童市出身。「大八伝」の映像化は、歴史の動きを地方側から見た、まったく新しい切り口に作品になった。地元の歴史を再確認する一助となれば幸いとのこと。

脚本・解説(大八伝製作実行委員会代表):矢吹栄修さん(写真右)
妙法寺観月庵 副住職。「天童は織田信長公の子孫が治めていたこと、天童には将棋を根付かせ天童の民を救った吉田大八という英雄がいたこと、そのことを知ってもらいたい。そして、市民の方に郷土の歴史に誇りを持ってもらいたい、多くの人に天童に興味を抱いて訪れてもらいたい。」そうした思いは、大八が切腹した観月庵のある寺で生まれた者としてずっと持っていたのこと。この作品が、市内外の子どもたちが大八に憧れる一助になればと話します。


実行委員会は、市内の小中学校、高校や同市立図書館へのDVDの貸し出しを検討中。
DVD販売:宮脇書店天童店(023-652-3322)で取り扱う。1枚2,200円
連絡先:大八伝製作実行委員会 横尾和義さん(080-6002-4900)


大八伝

大八伝

色濃く生きた吉田大八の短い一生を感じながら、美しい天童の映像をスクリーンで見ていたら、ゆかりの地を訪れてみたくなりました。これからは、将棋の駒を見たら、吉田大八を思い出すでしょう。今回完成した「大八伝」は、若い世代にも伝え継がれるためにとても大切な歴史ドキュメンタリー作品として残されました。

編集長ブログでもご紹介中!ブログを読む⇒ 天童市と将棋駒と「吉田大八」

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