2018年12月25日
多賀城「しろのむらさき」とは
しろのむらさきとは

奈良時代には国府が置かれ
陸奥国を統治する拠点として栄えた多賀城。
そこには、動乱の世を生きる古人の命を支えた“古代米”があった。
小ぶりな粒、深い紫色の表皮には豊富な栄養を蓄えて。
歴史を重ね、多賀城駅前を中心に進化した表情を見せる多賀城市。
奈良から現代へ、時代は変わっても
時を超えて古人の想いを受け継ぎ続けてきた
この地の象徴、それが“古代米”。
そして今、紫色の一粒一粒は美味しさとロマンを纏い
様々な商品へと姿を変えた。
“古代米”を使って作られた一品一品
そのすべてを食の新たなブランド「しろのむらさき」と呼ぶ。

奈良時代には国府が置かれ陸奥国を統治する拠点として栄えた多賀城。
そこには、動乱の世を生きる古人の命を支えた“古代米”があった。
小ぶりな粒、深い紫色の表皮には豊富な栄養を蓄えて。
歴史を重ね、多賀城駅前を中心に進化した表情を見せる多賀城市。
奈良から現代へ、時代は変わっても時を超えて古人の想いを受け継ぎ続けてきたこの地の象徴、それが“古代米”。
そして今、紫色の一粒一粒は美味しさとロマンを纏い様々な商品へと姿を変えた。
“古代米”を使って作られた一品一品そのすべてを食の新たなブランド「しろのむらさき」と呼ぶ。

 

歴史の街、多賀城から、新しい美味しい歴史が始まります。

古代日本の「北の都」多賀城

多賀城は約1,300年前の奈良時代に政府の支配が及んでいなかった陸奥国を統治するために設けられた役所。当時の行政組織である“国府“と兵士の駐屯・監督場所である“鎮守府“も併せ置かれました。神亀元年(724年)に大野東人(おおののあずまひと)によって、仙台平野を一望できる丘陵上に創建され、万葉歌人として有名な大伴家持や征夷大将軍で知られる坂上田村麻呂が赴任するなど、11世紀中頃に終焉を迎えるまで、古代東北の政治・文化・軍事の中心地としての役割を担いました。

多賀城跡(政庁跡)
 
出土された「黒舂米」の木簡

多賀城跡は約900m四方で、ほぼ中央には政庁跡があります。政庁は古代多賀城の重要な政務や儀式が行われた場所でした。日本三大史跡のひとつに数えられ、陸奥国府も置かれたこの城跡から、当時を物語る様々な品が出土されています。その中にあったのが米袋に付けたと思われる「黒舂米(こくしょうまい)」と書かれた木簡。この地には遙か遠い昔から米を作付けしていたという歴史がありました。

「黒舂米」の木簡
 
豊富な栄養素を含む古代米

多賀城では古くから米を作付けしていた歴史的背景を受け、稲の原種に近いお米が栽培されています。それが古代米と呼ばれるもの。紫色に輝く古代米は一般的なお米に比べて、もちもちとした食感があり、ミネラルやビタミン、ポリフェノールの一種であるアントシアニンなどの栄養素を含み、美味しいだけでなく、美容や健康にもうれしい食材。古人だけでなく、現代人にこそ必要なのが古代米といえそうです。

「しろのむらさき」ロゴ
ロゴデザインについて

多賀城「しろのむらさき」とは、紫色に輝くお米、「古代米」をつかった新しい多賀城グルメブランドの総称です。多賀城の「城」と、古代米の「紫」を組み合わせてできた言葉です。
ロゴマークは、お米の文字をキラリと輝くデザインにしました。

多賀城市観光協会キャラクター「たがもん」
 
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