せんだいタウン情報 マチコ

2016年12月01日
TALK Vol.3 丸山ゴンザレスさん 前編
-各界で活躍されている方にインタビュー。すてきに生きるヒミツを探ります。
TALK Vol.3 丸山ゴンザレス ジャーナリスト/編集者 前編・仕事「動じないのは生まれつき。自分の興味に忠実に、行動し続けたどり着いた今。」

 

 TBSテレビ『クレイジージャーニー』への出演で、多くの人がその名を知ることとなった丸山ゴンザレスさん。実は彼が仙台出身で、大学進学のために上京するまで仙台在住だったことはご存知でしょうか?危険地帯ジャーナリストとして、日本人がめったに足を踏み入れない海外地域を取材し、ショッキングな真実をたんたんと伝える屈強な人物。テレビで見るそんなイメージを抱き、緊張しながらインタビューへ向かったのですが・・・お仕事のこと、旅のこと、あれこれ聞かせていただきました!

 

 

仕事の原動力は、自分が“知りたい”と思う気持ち。

 今でこそ「危険地帯ジャーナリスト」という肩書が浸透していますが、ジャーナリストとして数々の著書を出版されてもいるゴンザレスさん。どのような経歴をたどって今の仕事スタイルにたどり着いたのでしょうか。

「実は僕、メインの仕事は書籍の編集者なんですよ。出版社に勤務していたこともあります。ただ同時進行で裏社会の取材や犯罪を追いかける活動もずっとやっていて。今の立ち位置にたどり着いたのは、流れとしか言いようがないですね。
 裏社会取材とかで悪い人たちがまわりにたくさんいるような環境にいたので、その情報を元に何か書いてみないかとオファーがきたんです。そういうオファーをフットワーク軽く受けていたらいつの間にやらって感じで。勤めていた出版社の仕事が終って夕方から新宿歌舞伎町で飲みながら取材して、空いた時間に執筆する生活が結構長かったですね。
 大学で専門に学んだり、新聞社に入ったりしてジャーナリズムに関わる王道もあると思いますが、僕の場合は現場で学んできた感じです」

 

 今では海外をメインの取材対象としているゴンザレスさん。世界各国をめぐっている印象ですが、はまってメインで取り扱っている国は10もないくらいなのだとか。ただその1か国1か国の密度はかなり濃厚。移動で通過する国はもちろん多いので、行ったことがある国は?と聞かれると、3、40か国くらいと答えることにしているそう。
 お話しをしていると、どんな質問にも真剣に答えようとしてくれ、正しく伝える、ということに対してものすごい熱量を感じました。そんなゴンザレスさんの仕事の原動力をおうかがいすると

「自分が知りたいかどうかが、いちばん大きいですよね。たとえばネットやニュース、海外の文献を見て、ここの背後関係はどうなっているんだろうとか、誰かの話を聞いて、そんなところがあるんだと気になりだして動き出すことが多いです。
 海外取材をするって、いろんな障害があるんですよ。予算のこと、日程のこと、帰ってきて現実的にどこの媒体に記事を書くのかということも含めて、短期間で動きながら全部を調整していかなければならない。決まっていない状態で動き出すのはけっこうパワーがいるんです。だからそこを突き動かすくらい“知りたい”という気持ちがないと進めないですよね」

 

 

 ゴンザレスさんの“知りたい”という気持ちにはじまり取材される情報を、今や多くの人が待ち望んでいるわけですが、そんな風に注目が集まる理由も、ゴンザレスさんのお話しの中にうかがい知ることができました。

「僕は海外で、日本の人たちが興味を持ちそうなことを中心に取材してくるんですよ。
 たとえばアフリカの部族を取材してきたとしても、会ったという事実を伝えるだけでは不十分で、私達との共通点を探り出して、それを伝えたりすることで興味を持ってもらえたりするんです。
 いろんな場所で取材を重ねていて思うのは、どんな環境に住んでいても人間は基本的には変わらないなということ。どんなときでも人間は人間として生活を営むものなのだということを、いろんなところで探っている感じですね」

 

 

どんな状況でもたいてい動じない。生まれてはじめて緊張らしい緊張をしたのは・・・

 ご自身の知りたい欲をもってして、現地でもまったく臆することなく取材をする姿には本当にほれぼれするのですが、取材ではどんなトラブルが発生しても、案の定動じたり緊張したりはあまりしないとのこと。そんなゴンザレスさんが唯一緊張らしい緊張をすることがあるそうなのですが・・・

「取材はだいたい計画通りに行かない、トラブルは起きるものだと思っているから、『はい起きた起きた』みたいな感じで対処しますね。たとえばアフリカのある国の空港で足止めにあって、もう今からどうつないでも帰りの飛行機に間に合わないということもありました。
 僕の場合はもともとあまり物事に動じない性格なんですが、テレビ番組に出て松本人志さんの前に出た時は、めっちゃ緊張しました。僕の人生の中で、ああいう方たちと接することを想定してなかったから」

 

 

 どんな危険地帯取材より緊張する場面が日本にあったとは。テレビで見ていても、まったくそのようには見えませんけれど。
 取材現場ではぐいぐい話を聞きに行かれていますし、人見知りももちろんしない方なのかと思っていたのですが、先日女子大生と話しをする機会があった時は、ぜんっぜんしゃべれなかったそう。
 女子大生との会話には困っても、海外の人たちに話を聞きに行くときは、ゴンザレスさんはどんどん質問しますし、現地の人も結構答えてくれるものなんですね。

「僕が赤の他人だからですよ。取材して書くという前提でスラムなどのコミュニティに入っていって、話を聞くために手をつくすわけです。彼らも外部の無関係の人間が相手ならこれくらいだったら話していいかなとなるわけです。これが友達とか日常的に接点のある関係を構築してしまったあとだと難しくなるんですよ。だから僕は異物として入っていって異物のまま出てくる。
 あとは、どこの国の人たちも、だいたいコミュニケーションは好きですね。時間があって娯楽が少ない人たちはとくに話してくれるんじゃないかな」

 

 取材時はいつでも落ち着いている印象で、どんなに緊張感の走る場面でも端的でわかりやすい解説をされているゴンザレスさん、そのことについてもおうかがいすると

「それは僕が一応まがりなりにも、学者方向に進んでいたこともあったからかもしれません。大学院で考古学を専攻していたのですが、考古学的な考え方を叩き込まれているので、ひとつの現象に対して多方面からアプローチする癖がついています。そのうえで理詰めというよりは、納得してもらえる言い方をするように心がけていますね」

 

 

明確にジャーナリストと名乗り始めたのは、3.11取材から。

 ライターの仕事をはじめる発端となったデビュー作『アジア罰当たり旅行』。初版は2007年に出版されていますが、近年のエピソードを加筆した改訂版が今年2016年に出版されました。『クレイジージャーニー』への出演も実はこちらの本がきっかけ。番組スタッフのなかにこの本の読者がいたそうです。

 

 
カメラマンがファン過ぎて、インタビュー中にサインをもらいました。

 

 マチコ編集部がこちらの本を読む限り、デビュー当時の20代頃の記述と、改訂版のために加筆された最近の原稿とでは、まるで別人のような印象を受けたのですが、旅行者からジャーナリストへと変わったターニングポイントはあったんでしょうか。

「昔からずっと裏社会のことを書いたりして、ジャーナリストのようなことはやっていたんですが、明確にジャーナリストと名乗ろうと決めたのは3.11の取材の時です。ここからは自分の書くものに責任を持とうと思って。震災関係の記事は、批判も含め反応する人がすごく多かったので、批判が来た時に、僕はプロじゃないんで、というような逃げ方はしたくないと思ったんです。
 そのころはよく宮城に帰ってきて、震災に関する記事をいろいろ書いていたんですよ。現在は立ち入り禁止区域になっているところも、発災直後は入れたので、車で行って取材して記事を書いたりしていました」

 

 

 話しを聞けば聞くほど、ゴンザレスさんが天性の性質を存分に発揮し、とにかく行動することでを今の道を開拓してきたことが見えてきました。
 さあ、大充実の前編「仕事」編に続き、後編では旅の達人である丸山ゴンザレスさんに、ビギナーにおすすめの旅や、食べに行くべき世界のお肉料理などについておうかがいしましたよ。後編は12/14(水)公開予定です。お楽しみに!

 

【後編・旅】はこちらから
おすすめ旅や食について、あれこれおしえていただきました!


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