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2017年10月04日
人生の悲しみにそっと、寄り添う「僧侶シンガー」 やなせななさんインタビュー
machico的・気になるパーソン
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 奈良県の寺院に生まれ育ったやなせななさんは、シンガーソングライターであると同時に、お寺のご住職でもあります。これまでに全国でおよそ500ヵ所の公演を成功させながら、東日本大震災の被災者支援にも取り組み、エフエム仙台のラジオDJや雑誌のエッセイ連載など、活躍の場を広げています。
 そんなやなせさんが今回、新たに挑戦したのは、自身の楽曲「祭りのあと」の映像化です。2009年に脚本を書き上げてから、8年越しで実現した夢。故郷である奈良県高取町を舞台に撮影を行い、短編映画として完成させました。映画の魅力や制作に至るまでの裏話はもちろん、29歳の時に発症した子宮体がんを乗り越えて歩んできた「僧侶シンガー」としてのこれまでの道のりなど、私たちの人生にも繋がる大切なメッセージを聞かせていただきました。

 

●歌手を目指したきっかけを教えてください。

 大学のサークル勧誘でたまたま軽音楽部のチラシをもらって、おもしろそうだと思ったのと、歌が好きだったので入部しました。バンドの組み方も分からない初心者だったので、先輩から色々なことを教えてもらいながらのスタートでした。活動を続けていると、ライブハウスに入り浸って毎日のようにライブをしている先輩たちの中から、プロになる人たちが出てきました。身近な人たちのそういう姿を見て、「自分もプロになりたい」とぼんやり思うようになっていきましたね。
 卒業後も、アルバイトをしながら音楽を続けていましたが、25歳の時に、歌手を目指す決意のきっかけとなる出来事がありました。友人のお姉さんが、ご病気で亡くなったんです。落ち込む友人に対して、何と言葉をかけていいのか分からず、とにかく曲を作りました。その時に、友人の心の中に踏み込むことは難しいけれど、歌だったら、心の中にそっと置いておくことができると気付きました。私がその場にいなくても、歌を作れば、聴きたい時に聴いてもらえる。その経験を通して、「寂しい思いをしている人の心に、そっと歌を届けられるシンガーソングライターなりたい」という意志が固まりました。

 

 

●ご実家が寺院とのことですが、どんな幼少期を過ごされましたか?

 うちは小さい兼業のお寺で、両親は共働きだったので、おばあちゃんが女のお坊さんとしてお寺を守っていました。子どもの頃から夕方5時には必ず家に帰り、おばあちゃんと一緒に、仏様に夕食のお供えをしていました。子どもながらに、毎日手を合わせてお勤めすることが習慣でしたね。

 

 

 

●そういった子どもの頃の経験が、歌手という仕事に影響したことはありますか?

 小さい頃、おばあちゃんからいつも、「人は死んだら仏様の世界に行って、そこからみんなを見守ってくれるんやで」と言い聞かされていました。その考え方がずっと自分の中にあったので、今考えてみると、友人のお姉さんが亡くなった時も、私はそのことを彼女に伝えたかったのだと思います。「死んでしまっても、光になって照らしてくれるんだよ」と。そういう考え方が自然と、自分の歌のテーマになっていきました。

 

 

●シンガーソングライターと僧侶の仕事を両方していたからこそ得られた特別な経験はありますか?

 やはり、東日本大震災の時ですね。東北では、震災前からカフェライブをしたり、宮城県内のお寺さんでコンサートをしたりしていたので、そのご縁で、震災後も支援をさせていただきました。その時に、自分がお坊さんをやっていなければ立てなかった場所に多く出させていただきました。
 避難所になっているお寺で追悼コンサートをした時は、「お坊さんならば」と耳を傾け、心を開いてくれる方がいて、「シンガーソングライター」というだけでは切り込めない部分まで入っていくことができたと思います。私は立派な人でもなんでもないけれど、「お坊さんでよかったな」と、あの時ほど思ったことはなかったですね。

 

 

●29歳の時、子宮体がんだと分かった時の心境はどのようなものだったのでしょうか。

 まさか、自分ががんになるとは夢にも思っていませんでした。それに、痛みもなかったので、病気であることに気付いてもいなかったんです。だから自分のことだと理解するまではかなり時間がかかりました。もちろん、怖いし死にたくなかったです。でも一方で、卵巣と子宮を全摘出すると言われた時は、この先結婚できるのか、子どもは作れないのかと、別な面ですごく不安になりました。「女性じゃなくなりますよ」と言われている気がして、ショックでしたね。けれど手術を受けなければ死んでしまうので、言わば仕方なく、治療を受けたような感じでした。

 

 

 

●そのような経験を、どのようにして乗り越えたのですか?

 ちょうど音楽活動も行き詰っていた時だったので、退院してからは家にこもりがちになっていました。そんな私を外に引っ張り出してくれたのは、友人たちでした。「今こうして生きているんだから、ウジウジしていないで歌いなさい」と叱ってくれる人がいたり、「病気のことを伝えていく活動をしてみたら?」と優しく提案してくれる人がいたりして、いろんな人がいろんなやり方で、私のことを支えようとしてくれました。
 そのおかげで前向きになれて、外に出てみたら、同じ病気をした人と偶然に出会う機会があったりして…。「みんなそれぞれに辛いことがあっても頑張っているんだ」ということに気付くことができ、少しずつですが、乗り越えることができました。
 また、病気という辛い経験をしたことで、周囲の悲しみや痛みを自分のことのように感じられるようになりました。人は、辛さを知ることで優しくなれるのだと思います。

 

 

●今回、ご自身初の脚本映画が完成したそうですが、制作に至るまでの経緯を教えてください。

 脚本は、8年前に地元で行われたシナリオコンテストに合わせて書いたのですが、落選してしまって、ずっと寝かせていました。私は元々、ストーリーを思い浮かべながら曲を書くことが多いので、歌の世界を映像にしたり、映画音楽を作ったりしたいと考えていました。
 去年の6月、シンガーソングライターの大先輩である大塚まさじさん主演の「父のこころ」という映画を見に行ったところ、とっても感動して。その時に、絶対に自分の脚本を映画にしようと思ったんです。「眠っている私の脚本を演じるのは、まさじさんしかいない!」と勝手に考えました(笑)。その後すぐに、私から直接大塚さんへお願いをして、映像関係の仕事をしている知り合いにもどんどん声をかけました。見切り発車でしたが、こうして制作がスタートしていきました。

 


短編映画「祭りのあと」予告編

 

 

●映画では、妻を亡くした老年男性がその悲しみと向き合い、前を向いて生きるまでを描いていますが、特に注目してほしい点を教えてください。

 いつも全国各地にライブに出かけているので、なかなか自分の故郷を顧みる機会がなかったのですが、今回、全てのロケを私が住む集落で行ったことで、自分の故郷の素晴らしさに気付くことができました。なんてことない、どこにでもある田舎の風景なのですが、故郷を離れて都会で働いている人や、故郷がないという人にも、なんだかあったかい、懐かしい気持ちになってもらえたらと思います。
 また、この映画のテーマでもある「家族を失う悲しみ」は、誰しもが持つものだと思います。けれど、その悲しみの先にはもっと温かい世界があることを伝えたいと思って作った作品なので、ストーリーにも注目してほしいです。

 

 

●東北でたくさんの活動を行うやなせさんが感じる、東北・宮城の人の魅力はなんですか?

 第一印象は、関西人とは違って、すごくシャイな人たちだと感じました。ライブで冗談を言ってもなかなか笑ってくれないこともあったりして(笑)。でもライブが終わると、皆さん一気に私のところに来て、涙を流しながら思いを語ってくれました。「今度来たらうちに泊まりにおいで」と言ってくださる方までいました。こっちが恐縮するくらい、いつまでも優しくしてくださるんです。「恩」とか「縁」を大事にする人たちだなあ、と感じました。

 

 

 

●10/14(土)に、ご自身のラジオ番組とタイアップしたカフェライブを仙台で開催されますが、意気込みをお願いします。

 カフェライブはよくやっていますが、ラジオ番組の名前を付けて行うのは、今回が初めてです。リスナーさんのお便りやリクエスト曲をライブでご紹介したいと思い、開催することにしました。いつも私の音楽を大切に聴いてくださっている皆さんと、生で触れ合いながら一緒に時間を過ごせればいいなと思います。大変ありがたいことに、今回のライブチケットは完売となりましたので、当日、お客様をお迎えする準備を進めているところです。

 

 

●休日の楽しみを教えてください。

 実は私、猫が大好きなので、休みの日はその猫たちとテレビを見ながらごろごろしています。女の子と男の子の兄弟猫が2匹います。名前は小雪と銀次郎。もう11歳になるのに、小雪はいつも子猫みたいに私に甘えてくるんです。私が甘やかしすぎたのだと思います(笑)。

 

 

 

●日々を生きる上で大切にしている考え方を教えてください。

 「石の上にも3年」という言葉がありますよね。でも私は、3年じゃなにも結果は出ないと思っています。続けることに勝るものはない。どんなことでも、何かをしている時には、逃げたい、辞めたいと思う瞬間があると思います。でもそこでぐっとこらえると、必ずその先に開かれていく世界があります。頑張るのではなく、とにかく「続ける」ということを大切にしています。

 

 

●今後新たに挑戦したいことを教えてください。

 まずは、今回制作した映画を宮城の皆さんに見ていただく機会を作ることが目の前の目標です。その他には、バンド編成のライブで東北を回れたらいいなと思っています。今ある音楽活動を欲張ることなく、こつこつ地道に続けたいです。

 

 

●読者の方にメッセージをお願いします。

 辛いことがあって当たり前の人生です。でも諦めなければ、続けていれば、モノの見方を変えてみれば、「全然いけるやん!」と思えるはず。どんなに辛いことがあっても、生かされている限り、今から輝くことはできると思います。

 

 

●最後に、やなせななさんにとって“音楽”とは?直筆で書いていただきました。

 

 

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 たくさんの困難に直面しても、決して音楽活動を辞めなかったやなせさん。その話声や歌声からは、険しい道のりを乗り越え続けてきた強さが伝わってきました。その一方で、冗談交じりの話口調や屈託のない笑顔がとても親しみやすく、やなせさんの温かさでいっぱいになった自分の心が、どんどん軽くなっていくように感じました。
 家族を失う悲しみや、なかなかうまくいかない人生の辛さに挫けそうになった時、無理をして頑張る必要はありません。ただ、その先にある新しい世界に向かって、ゆっくり、ゆっくり歩き続けていけばいい。そんなやなせさんからのメッセージが詰まった映画は、あなたが抱える苦しみにもそっと、寄り添ってくれるはず。人生を明るく照らしてくれる、やなせさんの楽曲の数々も、ぜひ、堪能してみてください。

 

 

映画情報

「祭りのあと」上映会
 11月4日(土)19:00~ @原宿ストロボカフェ(東京)
 11月6日(月)19:00~ @大阪市立中央会館(大阪)

 

やなせなな公式サイトはこちら

 

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