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2017年01月25日
TALK Vol.4 熊谷和徳さん
-各界で活躍されている方にインタビュー。すてきに生きるヒミツを探ります。
TALK Vol.2小宮山雄飛(ホフディラン)ミュージシャン「やりたいことは、とにかく突き詰める。好きを極めた先に、プロとしての仕事があると思う。」

 

 2016年、ニューヨークにおけるダンスの最高峰BESSIE AWARDにおいて、最優秀パフォーマー賞を受賞した世界的タップダンサー熊谷和徳さん。2017年3月10日~12日の3日間には、ご自身の故郷である仙台で東北初となる『東北タップダンス&アートフェスティバル “TAP INTO THE LIGHT”』を開催されます。
 世界で活躍する熊谷さんに聞くタップの魅力とは?お話をうかがう中で、夢を追い続ける強さとアーティストならでは細やかな感受性、チャーミングな一面も垣間見ることができました。

 

 

タップは生涯踊り続けられるもの。ベッシー賞受賞は、スタートライン。

 アジア人のタップダンサーではじめて、BESSIE AWARDを受賞した熊谷さん。授賞式本番までだれが受賞するのかわからない状況の中、4人中3人目の受賞発表がおわったときには、正直もうないなと受賞をあきらめていたそう。ただ尊敬するタップダンサーの受賞を間近で見ていることに感動し、それだけでもう十分だと思っていた矢先、名前を呼ばれて頭の中が真っ白になったのだとか。

「受賞はすごくうれしかったですね。びっくりしたというか。スピーチはなにも考えていなかったのですが、この受賞に関わらず、自分のキャリアは特にアメリカではまだまだスタート地点だと思っているということを話しました。それから80歳のブレンダ・ブァッファリーノをはじめ、先輩方のタップダンスを生で見てすごく感動したこと、そしてとにかく自分はただタップが好きで踊ってきただけなので、これからも感謝を持って踊っていきたいと」

 

 19歳で渡米し、最初の7年はニューヨークに腰を落ち着けてタップに打ち込んだ熊谷さん。19歳のその決断が、今思えば、やはりこれまでの中でも大きな転機だったと言います。

「当時はどうなることかまったくわからないままに、とりあえずニューヨークに行こうと決めて行動していました。インターネットやスマホもなかったので、手紙のやりとりや電話で連絡をとって準備して。今考えると信じられないですが、そういう時代だったからこそ、現地に行こうという思いが生まれたのかなと今は思います。ニューヨークに渡った当時は、知らない場所に本当にわくわくしていたから、恐怖よりも盛り上がりの方が大きかったですね」

 

 

 渡米して最初の1、2年は、自分がニューヨークという場所にいるべきか帰るべきかという葛藤が、ずっとあったそう。そんな状況から少しずつゆっくり、人とのつながりができていき、熊谷さんはニューヨークに居場所を見つけていきます。「ニューヨークで何かを成し遂げるには、日本の何倍も時間がかかる」そんな実感のこもった言葉も聞くことができました。
 

 タップダンサーとして20年目という節目の受賞を、まだスタート地点と語る熊谷さん。 その理由のひとつには、2003年26歳で1度日本に帰国し、今から4年前に今度は家族でニューヨークに移住した時に感じた、時代の大きな変化が挙げられます。

「4年前にニューヨークに戻ったときは、また1から積み上げていくという感覚でしたね。僕がニューヨークにいない間に、時代はだいぶ変わっていたから。そんな戦いの中での受賞だったので、自分の中ではまだやりきれていないことや、まだまだやりたいこと、やれることはいっぱいあると思っていて、そういう意味で今はまだスタートラインだと感じているんです」

 

 妻と娘、家族でのニューヨーク移住には大きな責任感が伴いましたが、その決断においては、家族の後押しも大きかったと言います。1人で渡米した時よりも迷いは減り、自分が何のために生きるのかということがどんどんクリアになっていったのだそう。結婚され、奥様の妊娠中にはなんとご自身もつわり!にもなったという熊谷さん。アーティストらしい繊細な、そしてほほえましいエピソードもうかがうことができました。

 

 

自由な表現者たちに囲まれて育った子ども時代。
自分だけの表現を探していた。

 熊谷さんの功績がありながらも、日本ではまだまだタップは敷居が高いイメージがありますし、熊谷さんがタップをはじめた20年前はなおのことだったかと思うのですが、そもそも熊谷さんはどのようなきっかけで、タップの道に足を踏み入れたのかは、気になるところではないでしょうか。

「いちばん最初は5歳くらいのときに見たマイケルジャクソンがきっかけで、ダンスというものにすごく憧れを抱きました。マイケルジャクソンの尊敬するダンサーがタップダンサーのフレッド・アステアという人で、その映像を見た時に、子ども心にすごくやりたいなと思ったんです。
 15歳になって、テレビでグレゴリー・ハインズ主演の『タップ』という映画を見たのですが、そのオープニングが、牢屋の中で一人でタップを踊っているシーンなんです。それが今までに見てきたタップのイメージを覆すもので。僕の中でタップが、ダンスというより楽器をただひたすら演奏しているようなイメージに変わって。そこで人前で踊るエンターテイメントというよりは、自分1人で打ち込めるものという感覚で、タップやってみたいなと思ったんです。単純に音を鳴らしたいというか」

 

 

 自分のためにできることを探していたという10代半ばだった熊谷さん。まわりにタップ経験者が全くいない環境の中でも、タップの道にたどり着いたのは、お父様の経営されている喫茶店で過ごした時間が大きく影響しているようです。

「父の店にはアーティストやミュージシャンの方が多く来ていて、いきなり歌ったりする人や、長谷川きよしさんという盲目のギタリストの方がぐわーっとギターを弾いたり、自由に表現をする人たちが子どもの頃からまわりにいたんです。だからタップとのつながりはなくても、自分の表現方法を探していた時にタップを見つけることができたのかもしれません。
 あとは子どもの頃ぜんそく持ちで家にいることが多くて、マイケルジャクソンのビデオを見たり、当時流行っていた洋楽、We are the Worldなどから掘り下げて音楽にどんどん興味を持っていくうちに、タップにたどりついたという感じですね」

 

 タップをはじめて、なんとぜんそくもよくなったのだとか!本当に好きなものに出会えて熱中しているうちに、体も強くなっていったと語る熊谷さん。心と体はつながっていて、その両方が満たされた時、人は思いもよらぬ力を発揮できるものなのかもしれません。熊谷さんからお聞きすると、ぜんそくが治ったという不思議な話も、納得して受け止めることができました。

 

 

自分が何をやるべきかを突き付けられた3.11
6年を経て、故郷仙台で開催するタップ&アートフェス。

 タップの本場ニューヨークに家族で移住する決断をしたのは、3.11の震災がきっかけだと語ってくださった熊谷さん。震災後は支援活動を行うも無力感の方が強く、自分1人にできることの少なさを痛感したのと同時に、自分は本当に何をやりたいのか、やるべきなのかということを、突き付けられたと言います。
 2017年の3月には、3.11を真ん中に3/10~3/12の3日間東北初となる『東北タップダンス&アートフェスティバル “TAP INTO THE LIGHT”』を開催されます。タップの魅力を直に体感できるイベントの魅力をうかがいました。

「仙台の文化事業団の方とお話していく中で、3.11にこのイベントを実施することを決めました。タップも苦難の歴史をポジティブなアートとして表現することから生まれたので、震災から5年が経過した仙台でタップのイベントをやる意味を、ニューヨークから来るタップダンサーにも感じでもらいたいし、お互いにひとつになって、共有できるものが必ずあると思ったんです。
 イベントは3日間、とにかくタップ三昧です。
 1日目のオープニングパーティでは、ピーター・バラカンさんと私の対談があります。タップの音、音楽との関わりや、ジャズの歴史、東洋のタップの歴史といった、今のタップがどこから来ているのかということをあれこれお話しする予定です。実は僕高校生だったころに、ピーター・バラカンさんがタップと人種差別について話されているのを聞いたことがあるんですよ。
 2日目はメインイベントのショー。ニューヨークから来るタップダンサーたちのパフォーマンスが披露されます。
 3日目はタップダンサーによるパネルディスカッション。ニューヨーク、日本をはじめ、全国のタップダンサーが参加し、お互いの活動やこれからめざす場所などを話し合います。タップのコミュニティを感じられる新鮮な時間になると思います。
 その他絵を描いたり、アフリカンパーカッションや歌のワークショップなど盛りだくさんなんです。タップのワークショップももちろんあります。これは本当に画期的なイベントだと思いますね」

 

 

 熊谷さんのお話を聞いていて、タップをちゃんと見てみたくなったのはもちろん、踏んでみたいとさえ思ってしまった編集部。初心者でもタップは楽しめるものなのでしょうか。

「初心者の方も、ふらっときてちょっと踏んでみてほしいです。タップは敷居が高いイメージを持たれやすいですが、実は踊る場所も選ばないし、靴だって普通の靴でも踏めるし、はだしでもいい。音が鳴れば踏めるんです。それに自分の年齢に応じた踏み方ができるものなので、本当にみんなが楽しめるんですよ。
 僕のタップの先生は、「歩ければみんなタップダンサー」と言っていました。それぞれに人は自分のリズムを持っているから。タップはみんなのためのアートだと思うんです。本当に自由でいい。ちょっと音を鳴らしてみるだけでも、まったく違う世界を感じられるし、おもしろいですよ」

 

 

ルーツに立ち返ることが、新しい表現につながっていった。

 ご自身の表現を突き詰めるのと同時に、イベントの企画・開催や、後進の育成にも力を注ぐなど、人生丸ごとをタップに打ち込む熊谷さん。その原動力についてもおうかがいしました。

「原動力は、自分がニューヨークで受けてきた恩恵です。日本にいるときから憧れていたグレゴリー・ハインズをはじめ、出会ったタップダンサーたちは、考えられないくらい僕にいろいろ与えてくれたんですよ。黒人の方たちは差別を受けてきた歴史が今も続いていて、ふつうに考えたらいろいろなアートや文化は、自分たちだけのものだと言って守りたいと思うのですが、彼らはそうではなかった。僕のこともとても大事にしてくれて。その人たちを死ぬまで見続けたから、日本人である自分が、彼らが大事にしてきたものを伝えていかなければいけないという使命がいちばんにありますね」

 

 タップダンサーの成熟期は40代がピークと言われているそうですが、熊谷さんの尊敬すべきタップダンサーは、みんななくなるまで現役。タップは生涯自分のペースで表現ができるもの、と熊谷さん。その年齢でしか生み出せない表現があり、どんどん円熟されていくと言います。
 タップにおいてテクニック以上に大切なのが、何を思ってタップを踏むかということ。日本人タップダンサーも増えてきている現在においても、本場の思いはなかなか伝わりづらいと感じるそうです。

「長い歴史の中で続いていく人種差別で、タップダンサーとして人間国宝級の方も、正当な評価を受けられていない現状があります。でもそういう人たちは愚痴も言わず、ただ踊り続けてきている。荒んだ状況下でギャングになってしまう人がいる一方で、そちら側に落ちてしまわないように、楽器やアートやスポーツがあったんです。ショービジネスだけじゃない、タップが生きるための手段だったということ、そこに込められていたエネルギーを、タップをやっている人には特に感じてほしいですね。
 そんなに遠くない昔でも劇場の入口や水を飲む場所が黒人と白人で違ったり、人種差別は今も続いているけれど、黒人が生み出したアートは、今聞いているほとんどの音楽やダンスの原型だったりするから、そういうルーツをしっかりみんなで確認しあうこともひとつの目標です。
 でも一方で楽しんでほしいという思いが大前提にあるので、その振れ幅がタップをおしえていて難しいところですね。ニューヨークにいると、それをもっとリアルに感じます」

 

 

 タップが生まれた歴史や、そこに込められた思い、エネルギー、そんなルーツを大切にされている熊谷さんですが、新たな活動にも驚くほど意欲的。日本のミュージシャンとのセッションや、MIHARA YASUHIROミラノコレクションの音楽をすべてタップの音で演出したり、東京フィルハーモニーとのソロ公演、ミラノサローネでのアートインスタレーションを成功させるなど、その活動の幅には目をみはります。そういった新たな活動は、一体どのようにして生まれていくものなのでしょうか。

「自分の中では、ルーツに戻るということは、どんどんシンプルになることだと思っているんです。シンプルになることでいろんな物事と一緒になれる。リズムはすべての物事に共通するところがあるし、音楽じゃなくても “表現する”ことのルーツを突き詰めていく中で、偶然出会うアーティストの方々が僕の活動をおもしろいと感じて、何か一緒にやろうと声をかけてくれて。その縁がどんどん広がっているという感じですね。
 トランぺッターの日野皓正さんやいろんなジャンルのパイオニアの方々、同じような考え方を共有する人たちはすごく気にかけてくれて、苦労もわかってもらえたり、面白い話ができるんですよね。王監督がタップのリズムと音、バランスについて熱心に話してくださったこともありました。王さんの一本足打法にも、ものすごく緻密に計算されたバランスがあると思うので、やっていることは違っても何か共感しあえたり、お話しができるんです。すごくありがたいですね。
 よく共演するジャズピアニストの上原ひろみちゃんとは、海外での活動の中で突き抜けていく執念や努力といった、お互い分かり合える部分がすごくあります。だから異ジャンルという意識はあまりなくて、すごく自然に共演できる1人だなと思いますね。最終的には、思いで繋がっているんだと思います」

 

 

タップは共通言語のようなもの。
国境や人種を越えて、みんながひとつになれる。

 今年プロ20周年を迎える熊谷さん。タップを仕事と感じはじめた35歳の頃、純粋にタップを楽しんでいた時の自分から変わってしまわないように、努力を始めたと言います。お客様にわくわくしてもらうには、まず自分がわくわくしていなければ、何も生み出せない。2017年はもっと楽しむことに突き進み、自分なりの音楽的表現を模索する新しい創作段階に入っていきたいと話してくださいました。
 ニューヨークのアーティストとのコラボレーションをはじめ、ヨーロッパや北欧での活動や、香港タップフェスティバルの計画もあるそう。

「いろんな国でいろんな人種の方々と、ひとつになれるのがタップ。共通言語のようなものだと思うんです。だからもっともっと多くの人たちと、そのことを体感していきたいなと思います」

 そんな世界での活動に先駆けて、3月仙台で行われるイベントには、ぜひみなさん駆けつけていただきたいなと思います。

 

 最後に読者のみなさんに向けて、メッセージをいただきました。

「今年は僕にとっても仙台市と一緒に活動をはじめて10年という節目。市が一緒にこういったイベントを行ってくれるのは、日本ではじめてですし、ニューヨークからもすばらしいタップダンサーが来日します。3.11という日に、みんなで共有できることはたくさんあると思います。ぜひ気軽に来てもらえるとうれしいです」

 

 

 独特の空気感、落ち着いた口調の奥に燃えるタップへの情熱が、ゆっくりじっくり使わってきて、インタビューを終えるころには、編集部の私も踊れるんじゃないかしら、できるかどうかはさておきとにかく踊ってみたい、という気持ちになっていました。
 わかりやすい言葉で、静かにお話しをしてくださる姿に、熊谷さんがこれまでに培ってきたゆるぎない人生のリズムを感じられたように思います。
 まわりの流れに巻き込まれてあくせくばかりしていないで、私も私のリズムをきちんと感じて生きて行きたいなと思いました。そのためにもまずは、タップフェスティバルに参加したいと思います!

 熊谷和徳さん、すてきな時間をありがとうございました!

 

 インタビューの後に、定禅寺通りで光のページェントをバックに、熊谷さんがタップを披露されました。1度生で目の当りにしたら、世界的なダンスにきっとあなたも惹きこまれてしまうはず。

 

熊谷和徳さん公式サイト

『東北タップダンス&アートフェスティバル2017』公式サイト

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